新規就農者が、過疎地で新たな物語をつむぎ出す
鈴木 茂孝さん(とんび農園代表・伊豆松崎レモングラス工房代表・松崎稲作塾塾長)
風光明媚な伊豆南部の景色を支えているのは、海のすぐ後ろに迫る山と、その裾野に拓かれた、のどかな田畑です。魅力的な場所が多い伊豆南部のなかでも、海・里・山の魅力がぎゅっと詰まった地域が松崎町。
この土地に惚れ込み有機農業を始めて20年、Iターン者ながら、この春、町議会議員に選ばれたのが鈴木茂孝さんです。
就活に出遅れ、唯一残った 選択肢が国家公務員試験
出身はどちらですか。
生まれは静岡県の三島市です。父親の勤務の都合で幼いときに東京の深川へ引っ越しました。農業とは無縁ですが、高校生のときから自然に即した生き方に興味が湧きまして。福岡正信さんの『わら一本の革命』を読んだり、有機農業の塾を開いている方の講演を聞くうち、将来は自然に関わる仕事に就きたいと思うようになりました。足掛かりとして進んだのが宇都宮大学農学部です。
農学部では、具体的な進路や目標は見つかりましたか。
海外で農業をやろうと決めました。3年生のときに準備のためオーストラリアへ渡りました。ところが、その頃の日本はバブルの真っ最中。海外での評判は最悪でした。
金にあかせて不動産を買い漁っていることへの警戒感から、オーストラリアは日本人に永住ビザを出さなくなったのです。 永住がかなり難しいことがわかったときは4年生になっていました。就活に出遅れ、残りは公務員試験しかないと言われ、国家公務員の受験を目指したのです。
みごと合格し、農水省に入省されたそうですが、配属は。
肥飼料検査所という機関です。肥料や飼料の分析をして残留農薬の基準値が適正か、カビなどによる変質はないか、あるいは表示と中身が合っているかを調べるところです。検査だけでなく、分析技術の開発なども行ないます。
消去法で進んだ道でしたが、やりがいはありました。今も思い出に残るのが、新しい分析技術を開発して論文を書いたことです。
その仕事をやめ、農家の道に進んだのはなぜですか。
ひとつの転機は異動の予感です。入って2年目くらいかな。あいつはタフそうだから霞が関の本省へ送り込もうという空気を感じたんですよ。霞が関勤務では国会待機という深夜に及ぶ激務があります。
それをこなすと、いわゆる出世コースに乗るのですが、僕は出世より好きなことを続けたい。気配を察してから、週末は埼玉の有機農業塾に通い農業の勉強をしていました。やめる準備です。

農業はけっして楽ではないが、楽しい働き方だという。「最初から仕事を目指さなくてもいいんです。とりあえず自分の食べるお米を作る体験をしてみていはいかがでしょうか。手とり足とり教えますよ~」
ご両親は反対したのでは。
当然ですよね。そのまま農水省にいれば生活は安泰です。でも、世の中にはいろいろな人生の形がある。僕にとってそのひとつが有機農業でした。自分や家族が安心して食べられる農作物を自分で育てる。もちろん簡単な道ではないし、軌道に乗っても相手は自然なのでリスクはつきまとう。
それでも、ひとつしかない人生なのだからやってみたい。やるなら早い方がいいし、うまくいかなくても若いうちならやり直しがききます。自分の生き方を示すなら今しかない、という思いもありました。親もあきらめましたね。引き留めたことで後悔されるよりはよいと思ったのでしょう。
就農の場として、ここ松崎町を選んだ理由はなんですか。
役所をやめたあと、長野県の高原野菜産地で1か月半ほど住み込みながら働いていました。ある日、休憩所にあった『食べ物通信』という本を開くと、松崎町の空き家情報が出ていました。すぐに車で訪ねてみたんですよ。
ところが、住居表示が変わっていて、本に出ていた住所では探せない。地元の人に聞いてもわからないという。車でうろうろ走っていたら細い山道に迷い込んでしまって。やっと車をターンできるお宅へ出たのですが、そこは自然食の宿でした。事情を話すと、その主人が本に出ていた物件を管理している方だったのです。
空き家の値段は折り合わなかったのですが、よかったら宿の手伝いをしてくれないかと頼まれました。その夜からお世話になり、あちこちを見て回って今の家にたどりつきました。28歳のときです。

のどかな風景に惚れ込んで移り住んだ松崎町。その美しさを支える情景のひとつが、農家が長年きれいに耕してきた田畑。ところがその担い手がいなくなり、農地は荒れてきている。「この問題は町の主力産業である観光とも無縁ではありません。草ぼうぼうのところへ人はわざわざ訪ねてこない。町全体で考えていくべき課題です」
新規就農者が直面する壁 「販売」を支援したい
経営内容を教えてください。
米とハーブです。田んぼは5反5畝。サッカーグラウンドより少し狭いくらいです。標準的な農家と比べるとかなり小規模です。これくらいの田んぼでは、一般的な栽培方法で市場流通に乗せても生活は成り立ちません。ですから付加価値を高めることを常に考えています。
付加価値とは、突き詰めると共感です。農薬も化学肥料も使わないという選択が第一の共感。ですが、安心でおいしくても白米は白米なので、差別化といってもなかなか難しい。僕は赤米や黒米、緑米などの古代米に絞り込み、委託で加工品にもしています。古代米の加工品はよく売れるので、白米からの面積比率を増やしているところです。ハーブも同じように、お茶や飴にしています」
苦労はありますか。
時間管理ですね。はじめの頃は畑もやり、養鶏もやっていました。でも畑は手間がかかる割に儲からず、鶏を飼っていると家を空けられないので営業活動ができません。お客さんは楽しみにしてくれていたんですが、徐々に切り離し、古代米とハーブの二本柱体制に変えていきました。
僕は性格的に人が好きなので、飛び込み営業も気おくれすることなくできます。楽天的な性格でなんとかここまで来れたと思うのですが、販売で挫折する人もいます。売る苦労は、Iターンで小さな農業を始めた人たちの誰もが通る試練。一定の品質の農産物を作る技術だけでも難しいのに、セールス技術も模索しなければならない。
後に続く新規就農者を応援するためにも、今、僕は加工品の拡大を目指しています。そのための米の買い取りも始めました。背景にストーリーがあり、品質や味が確かな農産加工品は、きちんと説明すれば共感してもらえるものです。
ストーリーとはなんでしょう。
仕事に対するこだわりや、そこに至った思いです。つまり生き方そのものがストーリー。オーガニックのお店だと、基本的には同じ方向を向いているので共感は得やすい。けれど、これは僕が丹精込めて育てたナスです、ではなかなか売れません。農家の人はみんな丹精込めているわけですから(笑)。
そんな中でキラリと光る自分ならではの個性。ほかとの違い。それがストーリーです。
「ゆる〜りな人」鈴木 茂孝さんへの質問
Q.
新規就農したい人が心がけておきたいことはなんですか?
A.
伊豆南部のような場所で新規就農者が利用できるのは、いずれも狭い農地です。限られた面積でどう収益を出すか。それには複眼的で柔軟な視点が必要です。
私からのアドバイスは、オールマイティーな農家を目指すこと。「これしかやらない」というこだわりは、裏返すと挑戦からの逃げでもあります。今は作物をただ生産するだけで食える時代ではありません。「これしかできない農家」にならないよう、加工などの発想力、売るための情報発信技術、営業のためのコミュニケーションスキルも磨きましょう。
最後に一言。農業は、都会に疲れたから田舎で田んぼでも耕して…という人には務まりません。
取材日:2019年5月
Profile
鈴木 茂孝 さん
1970年静岡県生まれ。幼少期に東京都江東区に転居。宇都宮大学農学部卒。学生時代、オーストラリアで農場経営を夢見るも、永住ビザの事情で断念。国家公務員二種試験に合格し農林水産省の出先機関に配属。3年勤務した後、静岡県松崎町にIターン。有機栽培の米作りを中心に営農。 現在は古代米とその加工販売に力を入れる。レモングラスなどのハーブ製品も人気。2019年4月の松崎町町議会議員選挙に立候補、定数8人の枠に4番目の得票で初当選を果たす。家族は妻、子供4人。