ハワイ島にステイしている間に、僕は色々な挑戦を実に楽しみながら実践していました。
僕は英語に対して「貪欲にもっともっと学びたい!」という気持ちがありましたので、ある提案を小学校の先生にしてみたのです。
それもアポなしで、知り合いなどを介さずに、小学校に飛び込みで・・・。
「僕は日本から来た25歳の男性です。英語はそんなにできませんが、小学校レベルの算数ならできますし、それ位の英語力は持っているつもりです(その時にワードファイルで作った英語の履歴書も持参しました)。もし、可能ならば、小学校で算数の時間に先生の補助のようなことをボランティアでさせて頂けないでしょうか?そして、彼らの国語の授業、つまりは英語の授業に僕も参加させて頂けないでしょうか?地元の人ともっと交流をしたいですし、英語をもっと学びたいのです」と。
・・・すると、窓口の方が心当たりのある先生を呼んでくださり、そのケイコベラ先生(女性)と色々な話をしまして、特に契約書なども交わさずに見事OKを頂きました。
さすがは、アロハスピリットなハワイです!
翌日から僕はケイコベラ先生の補助スタッフとして小学3年生の算数の先生をやらせて頂くことになりました。
そして、数週間、算数の授業をしては、英語の授業を受けさせて頂き、僕の英語力はみるみる伸びましたし、小学3年生の生徒たちにたくさんの英語を教えてもらいました。
そんな中、先生繋がりで「直也、あなた、日本語を教えて欲しいといっている友達の息子がいるんだけど、できない?」ということになり、まさかの日本語の先生も学校が終わった後の2時間ほど、週2回のペースでさせて頂く事になりました。
その時の生徒は中学1年生の男子2名で、日本語に対してとても一生懸命な生徒で、フライデイはマネーデイ(金曜日だから、お金デー笑)ってな具合に楽しく授業を行いました。
そういう交流を通して、年末年始には家族だけのパーティーに特別に招待して頂いたり、サーフィンのコンテストに地元のロコサーファーと出場したり、パッケージツアーなどでは絶対に体験できないことをたくさんしました。
そんなこんなで、僕はただただハワイ島でサーフィンやったり、ヒッピーをやったりしただけではなく、小学校の先生もやり、小学校の生徒もやり、日本語の教師なども経験することができました。
小学校での授業最終日、僕は大好きなポホイキビーチのシンボルである赤い家とココナッツツリーと海の絵をプレゼントしました(幼稚園から高校1年生まで絵を習っていまして、今でも絵は大好きです)。そして、生徒20名くらいに日本語の名前をプレゼントしました。
例えば、マヒナという女の子がいたら、それをハワイ語辞典、英語辞典で調べ、その名前の意味を知り、分からなければ図書館のスタッフに尋ね、「マヒナ」という名前がハワイ語で「月」という意味だと知ると、僕は彼女に「美月(みづき)」という名前をプレゼントしました。同じように約20名の生徒の名前を数日掛けて調べは日本語の名前を考えました。そして、色紙に筆字で大きく名前を書き、意味も添えました。
その僕の思い付きのプレゼントに彼ら約20名の生徒はとても喜んでくれました。
僕はこの約1年間に渡るアメリカでの一人旅を通して、常に120%挑戦していました。
僕自身、そうするように日々意識していました。
「俺は今日も120%挑戦できたか?」
「日本に帰った際に、親父や仲間に堂々と今日やったことを話すことができるのか?」
「僕は、周りのボンボンの日本人とは違って、意を決して、仕事を辞めて、お金も無い中、親父に反対されながらも、この旅を選んだんだ。吸収できるものは全部してやろう。サーフィンも、英語も、ヒッピーも、人との出会いも、サバイバルも、ビーチクリーンも」
この時の僕は、25・6歳。
今から12年以上も前のことです。
このスローヴィレッジのブログを書くことで、自然の素晴らしさ、人と人の出会うことの素晴らしさ、人間と自然との共有、お金では買えない大切なもの、子ども達に伝えていきたいこと、そういったことを今後もずっとずっと、ここ田舎町、南伊豆から細々と発信し続けていきたいと思います。
皆さん、やりたいことを徹底的に貪欲にやりましょう!
人生は一度切りです。
PS:独身時代にやりたい放題やった僕は、今は、家族に夢中です。