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ゆる〜りな人

水をかけ続ければ、焼け石だっていつか冷める

多忙な社長が毎日浜辺でごみを拾い続ける理由とは?

指方 海斗さん(ビーチクリーン事務局代表 / 会社経営)


沖縄と九州で経営する事業所の数は、マリン観光と飲食店を中心におよそ30。辣腕社長として忙しい日々を送る指方海斗さんには、毎朝の習慣がある。海岸のごみ拾いだ。フィールドは本部半島を中心とする沖縄県北部。海沿いの駐車場に無造作に捨てられたごみや海から漂着するごみを、出歩くことができない台風などの日以外は袋を手に毎日回収して歩く。

ビーチクリーン事務局という団体を作り、地元住民だけでなく、観光客まで巻き込んだ大がかりな清掃活動も毎月展開している。レゲエやロックなどのイベントも手掛けるが、いずれもサブテーマは海の環境保全。指方さんがそこまでごみにこだわるのはなぜだろう。

不法投棄ですっかり荒れた聖なる砂浜を復活させる

とてもきれいな浜ですね。ヤシの木まであります。

うふた浜っていうんですけど、ここ、僕らが手をつける7年ほど前まではごみ捨て場だったんですよ。崖のところの土地は所有者が不明なものだから、あらゆるごみが投げ捨てられていて。テレビ、自転車、バイクならまだしも、クルマまで突き落としてありました。足元が粗大ごみだらけなうえに、つる草や木が生い茂って何も見えない。やぶ蚊がわんわんいて、足を踏み込めるような状態じゃありませんでした。

そこに見えるのは男岩といって、浜のシンボルです。今は台風で消えてしまったんですけど、近くには女岩もありました。夫婦岩だったんですね。戦前、うふた浜には旧暦の3月3日にたくさんの人が訪れたそうです。浜うりーという、沖縄ではとても大事にされてきた行事。浜うりーの場所というのはつまり、聖地なんです。

不法投棄のごみや漂着ごみ、繁茂した草木で足を踏み入れることができなかったうふた浜。清掃活動で本来のきれいな砂浜に生まれ変わった。「ごみの問題は、やる気があれば解決できる課題なんですよ」(指方さん)

 

その聖地が、なぜ不法投棄の場所になってしまったのでしょう。

戦時中、本部町は軍港として使われ海岸全域が立ち入り禁止になったんです。それがきっかけで浜うりーの習慣が消えました。戦後、沖縄海洋博の時に海岸沿いが開発されて大きな道路ができました。戦争以降、持ち主がわからなくなっていた土地は、不法投棄にうってつけの場所になってしまったんですよ。

うふた浜は、地元の民謡に唄われているほど有名な浜だったんです。でも、僕が本部町へ来た頃にはもう最悪の状態で、地元の人の中にさえ男岩を見たことがある人はいませんでしたし、うふた浜の所在自体が忘れられていました。

今の状態まで戻すのは、さぞたいへんだったのでは。

2トンダンプを気が遠くなるほど往復させて。土地は町の管轄で、管理を地区に委託しているのですが、地元の人たちもあまりの荒れ具合にお手上げで。隣の敷地がホテルなので、当時の会長にも協力してもらい、延べ人数で2,500人くらいの労力を投入したと思います。見通しが利くようになってわかったんですが、面積は1,000坪くらいありました。

費用が相当かかったんじゃないですか。

僕が持ちました。僕は海の観光業もしています。美しい浜がひとつ復活すれば、それはうちのポテンシャルにもなるわけですよ。沖縄北部へ来る観光客の一か所あたりの滞在時間は、長くても2時間なんです。そもそもこのあたりは気軽におりていける浜が少ないので、通過点になっていた。

つまり地元にお金が落ちない。誰もが自由に利用できる居心地のいい浜があれば、ゆっくり泊って行こうかという気持ちになるでしょう。ですからテーブルも置きました。ほかの業者さんにも、どんどん使ってください、そして気がついたらごみを拾ってもらえればと声をかけています。このヤシの木もうちから地区に寄付する形で植えさせていただきました。

地元の人たちはなんといっていますか。

きれいになってありがたい、子供たちが安心して海で遊べるようになったという声を聞いています。釣りをする子も増えましたね。これは大人が夜に釣ったものですが、そこで150kgのアラがあがったこともあります。

ごみをひとつ拾えば、未来がちょっとよくなる。何もしなければ確実に悪い方向へ進む。僕たちの選択肢は、ひとつしかありません。

 

モチベーションの源流は少年時代の資源回収

ごみって、一度片づけても心ない人がまた捨てはじめ、浜の場合は海から新たに流れ着きます。正直、徒労感はないですか。

それはないです。僕、じつは5歳からごみ拾いをしてきたんですよ。生まれ育ったのが福岡で、遊び場は近くの水路でした。ザリガニくらいしかいない水質なんですが、僕にとってはわくわくする楽園で。そこにはよく自転車が捨てられました。そのままだと網が破れてしまうので引き上げるんですが、ひらめいたんです。これは鉄だから売れると。実家が建設業なので、よく父親について鉄くずを業者のところへ売りに行ってたんですね。ラジコンが買えるくらいお金が貯まりました。

沖縄でごみ拾いをするようになったきっかけも同じです。僕は生き物が好きで、はじめて来たときにヤドカリを採りに磯へ下りたんですけど、そこがコーラのびんだらけで。ポイ捨てのスポットになっていたんですね。でも僕からしたら宝の山。当時の飲料容器は缶かガラスなので、回収拠点へ持っていくと全部お金になりました。

何回か通うと磯がすっかりきれいになり、近くのおばあが感謝してくれて。海ブドウをおなかいっぱいごちそうになりました。福岡で資源ごみを拾っていたときは変なガキだと白い目で見られましたけど、沖縄では喜んでもらえる。すごく気持ちがよかったね。単純ですけど、それが動機かな。

ごみが減っている実感はありますか。

漂着ごみに関してはまったくありませんが、粗大ごみの不法投棄については僕が本部町にきた15年前と比べるとかなり減っているように思います。法律も厳しくなっていますし、一度きれいになった場所にまた捨てるのはさすがに後ろめたいのだと思います。

みんな捨ててるじゃないかという言い訳ができないですから。ごみを拾っている人が常にいるということも抑止効果になります。

文字通りの「水際作戦」が、いちばん簡単で効果的

漂着ごみにはどのようなものありますか。

そこに固定してあるロケットのような巨大な金属は、カリフォルニアから流れ着いたブイです。多いのはペットボトルをはじめとするプラスチック容器ですね。軽いので漂着しやすい。

アジアから流れてくるごみも少なくないと聞きます。

中国語やハングルの容器も多いです。風向きや潮流次第では、中国から本部町までわずか6~7時間で漂着するそうです。そういうごみを見て、中国や韓国はけしからんと言う人もいるんですが、日本のゴミだって世界中に流れて行っていますから、よその国を悪く言える立場ではありません。

本部町のごみはハワイまで20時間で漂着します。遠くはチリにまで流れて行っています。日本人はマナーがなっていないと世界中から思われているはずです。

左/うふた浜に漂着していた巨大な鉄製のブイ。米国のカルフォルニアからのものだという。右上/拾っても拾ってもきりがないのがプラスチックの漂着ごみ。指方さんはごみ拾いを日課にすることでポジティブに立ち向かう。 右下/砂浜のビーチグラス(シーグラス)を清掃活動の特典(地域通貨)にするビーチマネー運動(https://beachmoney.jp)にも参加する。ペットボトルの時代になってビーチグラスが減少傾向にあるため、摩耗した琉球瓦も通貨として認めるローカルルールを採用した。

 

プラスチックごみは世界の海を回っているんですね。

きりがないくらいにね。確実に言えるのは、ひとつでも拾いあげて陸上で処理をすれば、その分だけ海への拡散を防げること。小さな破片になって生き物の体に取り込まれていくマイクロプラスチック問題も減らすことができるのです。文字通りの水際作戦ですが、じつはこの方法がいちばん簡単で、誰にでもでき、お金がかからないんです。

個人がちょっと拾ったぐらいでどうにかなるもんじゃない、焼け石に水だという人もいます。たしかに大きな力にはならないでしょう。でも、焼け石だってずっと水をかけ続ければいつかは冷める。毎月第一日曜日にビーチクリーンを続けているのは、そう信じているから。

やれば、ほんの少しかもしれないけれど何かがよいほうに変わる。何もやらなければ、確実に悪いほうに進む。僕たちの選択肢はひとつしかありません。

「ゆる〜りな人」指方 海斗さんへの質問

Q.

ごみ拾いをしたいと思ってもらうために工夫していることは?
A.
楽しくやる、ということに尽きるのではないでしょうか。ビーチクリーン事務局では毎年5月をごみ拾いの強化月間としていて、僕と従業員のひとりは、ごみ拾いトライアスロンに挑戦しています。仕事を休み、朝7時から夕方6時まで30日間ごみを拾い続けます。ランニングハイって言葉がありますけど、ごみ拾いもここまでやると中毒になります(笑)。
今後の課題は、早く次の世代にバトンタッチすること。それも沖縄生まれの子たちに。 僕は沖縄の海が大好きでごみ拾いを始めましたが、内地の人間ゆえの限界もあります。郷土人としての意識を持つ島の若者や子供たちが続いてくれるかどうかが今後のかぎです。

取材日:2019年11月


Profile

指方 海斗さん

1973年福岡県生まれ。建設業を経営する父親について高校時代から沖縄に暮らす。趣味の生き物採取で磯へおりたとき、大量のコーラの空きびんが散乱しているのに驚き、回収すると同時に酒屋へ持ち込んで小遣いに。20歳で起業、健康寝具やスチール物置の販売、ペットショップ、飲食業、観光業、人材派遣などさまざまな事業を展開。15年前に沖縄県に拠点を移してからは、海岸をきれいにするビーチクリーン運動を始める。侍海斗と名乗り、音楽活動と海のごみ拾いを融合させた新しい形のクリーンアップイベントなども主催している。

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