からだの声を聴き、感じる力を大切にしたい
榎本 かなさん(管理栄養士・健康食育シニアマスター)
愛読書は「栄養と料理」栄養士を目指すまでの道のり
なぜ、管理栄養士になろうと思ったのですか?
実家も食品を扱う会社をやっていたし、祖母も料理を作る仕事をしていたので、周りの環境からも少なからず影響を受けたのだと思います。でも思い出すのは中学時代の寮生活。寮のごはんにちょっと納得できなかったんです。冷凍食品ばかりのメニューで美味しくなかったんですよね。ストレスも多い環境だったので、みんなあまり身長も伸びずコロコロと太っていました。成長期の食事ってこれじゃダメだよね、なんて漠然とした不満があって。
それで栄養という分野にどんどん興味が湧いてきたんです。「栄養と料理」という雑誌を買って読んだりしていました。短大で栄養学を専門に学び、卒業後は管理栄養士の国家試験の受験資格を得るために病院に就職して実務経験を積みました。国家試験は必死で勉強しましたね。できることは全部やりきった、これでダメならもう諦めようと思った3回目の受験で合格できました。
管理栄養士になってからはどんなお仕事を?
管理栄養士になった時から、いつかはフリーランスになるというのは決めていました。病院は西洋医学の世界。栄養士の仕事も、数字を合わせていく考え方がメインです。痩せたいならカロリー計算とか、血圧が高いなら塩分を減らすとか。それにずっと違和感があったんです。
例えば痩せない原因は人それぞれで、単に食べ過ぎで太っている人もいるし、食べる量が少な過ぎて痩せない人もいる。数字はもちろん大切なのですが、からだ全体を俯瞰で捉えていくような東洋医学の考え方にずっと興味がありました。それで組織の外に出て自分の興味のあることを突き詰めてみようと、結婚を機にフリーランスになりました。
フリーの管理栄養士というのは珍しいのではないでしょうか。
今でこそ、フリーで仕事をする栄養士も多く出てきましたが、その当時は、私の周りにはほとんどいませんでした。フリーになったからといって何の実績もなかったので、まずはいろいろな人に会いに行きました。SNSを通じて知り合った方にも会いましたし、気になった講座やセミナーを受講したりアルバイトにも行きました。
とにかく人脈を広げたかったし、いろいろな世界に触れたかった。ある日、子どもの食育に関わるボランティアに参加することになりました。もともと野菜料理を教えていた先生が、子ども向けに開いた食育講座のお手伝い。そこで大きな転機がありました。
自分で体験しないと何もはじまらないし語れない
榎本さんにとって大きな転機となった出来事だったのですね?
それまでは、ベジタリアンやヴィーガンの料理には否定的でした。栄養的に足りるはずがないし、卵や牛乳を使わずにどうやって旨味やコクを出すの?なんて思って。でもその先生の料理を食べたら、野菜だけでものすごく美味しいんですよね。なんでこんなに美味しいんだろうって衝撃的で。
もっといろいろなことを吸収したくて、子ども向けの教室に加えて大人のクラスでもアシスタントをすることになりました。講師の先生はもちろんですが、生徒さんにもベジタリアンの方がいたり、いわゆる自然派といわれる方が多かったので、マクロビオティックやアーユルヴェーダなどいろいろな情報を教えていただきました。ここでの経験で、それまで持っていた栄養や料理に関する概念が大きく変わったんです。
具体的にはどんな風に?
食べ物を意識することで自分のからだが変わるということをはっきりと体感できたんです。もちろん栄養士なので知識として学んではいました。この栄養素が足りないとこうなりますとか、こういうときにはこんなものを食べましょうとか、病院では患者さんにも指導をしていましたし。
でもそれをはじめて自分のからだで実感したんです。本当にそうだったんだ!みたいな。私は極度の冷え症だったのですが、食生活を変えたことで体質が大きく変わり、冷えはもちろんお通じや肌の調子もよくなって。それで新しい知識を仕入れるたびに自分で実際に試して、からだがどう変わるのかを確かめて、というのを繰り返していましたね。
なんでもまずは自分で試してみたいタイプなのですね。
そういう気質なんだと思います。どんなことも自分で経験してみたい。そして、やるからには徹底的にやりたいんです。自分で体験しないと何もはじまらないし何も語れないと思っているので。妊娠中も、自分と子どものからだのために完璧な食生活を、と思っていろいろ調べましたね。
自分ではゆるくやっていたつもりでしたが、周りから見るとそうは見えなかったようでストイックすぎるなんて言われていました。食事を整えたことで、出産はすごくスムーズでした。でも産んでから乳腺炎を繰り返すようになってしまって、すぐに高熱が出るし痛いしで食べるのが怖かった。そのあと今度は過食になったんです。どんどん太ってしまって体調も悪くて、ある日、バセドウ病を発症していることがわかりました。
自分のからだの持つ力を信じるということ
バセドウ病を患ったことで、なにか変化はありましたか?
インターネットで病気のことを調べると「完治はしない」とか「一生付き合う病気」とかネガティブな情報ばかりが目に入るんですよね。そんなときに、ふと思ったんです。私はこの状況を変えるために勉強してきたんじゃないかって。
それで10日間、玄米と胡麻塩だけで過ごすマクロビの「七号食」など徹底した食事療法を行いました。その結果、バセドウ病については症状もなくなり、からだは食事で変えられるということを改めて実感できました。でもバセドウ病は寛解したけれど、玄米だけを食べ続けたせいか胃腸の調子が悪くなってしまって、貧血も進んでフラフラでした。食べることに罪悪感もあったし、「食べるから病気になる」と思い込んでいました。
でもある時、なんでこんなにストイックにやってるんだろうと我に返ったんです。我慢して制限して、そんな生活は絶対に続かないしどこかで反動がくるんですよね。それでかなり肩の力が抜けました。今はこれを食べたら太るとか、からだに毒だとかそういうことは全く気にしていません。食べたいという欲求を素直に満たしながら、不調を感じたらすぐに整えることだけを意識しています。
からだの快や不快を感じ取る力が必要なのですね。
以前、スローヴィレッジさんのお仕事で取材させていただいた網本欣一さんのお話にものすごく影響を受けたんです。網本さんが作る「共生農法米」は農薬や化学肥料を一切使わないだけでなく、害虫や害鳥とも折り合いをつけながら、自然の中でたくましく育ちます。玄米は消化に悪いと思っていたけれど、網本さんの玄米は妊婦さんにもおすすめできるくらい消化もよくて、しかも美味しい。
網本さんはその理由を「稲に主体性をもたせる」と仰っているのですが、それはつまり稲の力を信じるということ。稲は生命力が強い植物。人間の都合で農薬や化学肥料を使ったりしなくても、自然と調和して生き抜くことができるのです。そのお話を聞いたときに、私は人間のからだにも同じことが言えると思いました。
とにかく自分のからだの持つ力を信じればいいんじゃないかって。私も自分のからだに主体性をもちたい。それができたら敵も味方も調和して、あるべき姿で生きていけると思っています。これは私にとって大切な生き方の指針です。
この先は、どんなビジョンを抱いているのですか?
次男を妊娠した時に、それまで抱えていた病院での栄養指導や講師の仕事を全部手放して、子育てに専念することにしました。でも次男が1歳になる頃、また仕事をしたいという気持ちになって。
それでご縁があってIT企業のメディア事業部で、食にまつわる記事の編集に携わることになりました。会社に入ってチームの中で仕事をするということを2年くらいやりました。すごく勉強になったのですが、チームが解散したので今はまたフリーに戻っています。それまでの仕事はすべてリセットしたので、フリーとしての実績はゼロと同じ。コツコツとまた信用を貯めていこうと思っています。
今は在宅での仕事をメインにしたいと思っていますが、急にまた就職したくなるかもしれないし。今はビビッと直感がくる瞬間を待っているんです。
「ゆる〜りな人」榎本 かなさんへの質問
Q.
Withコロナの時代、 私たちはどうやって生きていけばいいですか?
A.
自分の免疫力が高ければ、どんなウイルスや病原菌がきても大丈夫なはず。だから免疫力を高めておく。まずはリラックスして楽しく過ごすこと。それが何より大切だと思います。人は知らないことに対して恐怖を感じる生き物です。今はまだ、新型コロナウイルスについて全てがわかっているわけではないから怖いし不安になるのは当たり前。でも自分のからだを信じることができれば、たいていのことは乗り越えられます。そのためにも普段の食事をおろそかにせず、からだの声を聞くことを意識してほしいと思っています。
取材日:2020年8月
Profile
榎本 かな さん
1981年鹿児島生まれ。実家は海産物や芋焼酎の原料であるサツマイモの加工などを扱う会社を営む。女子栄養大学短期大学部を卒業後、栄養士として実務経験を積み、25歳で管理栄養士の国家試験に合格。病院での栄養相談や特定保健指導などを通じてこれまでに1万人以上の食とからだの悩みに寄り添う。セミナーや企業研修の講師、ダイエット指導などを6年ほど行ったのち、IT企業のメディア事業部で食に関する記事の執筆や編集を担当。現在は完全在宅での働き方を模索中。3歳と11歳、2人の男の子の母でもある。