最近の子供達に想像力が無いような気がします。
つまり、場所だけ提供して、「はい!ここで遊んで~!」っと言っても、何かモノが無いと遊べないのです。
そんな子が多くなってきています。
ゼロから想像し、相談し、創造する、そんな力が無いのです。
先日、下田市の100円ショップに隣接した場所に小さなゲームセンターのような場所があり、そこに小学生やら中学生やらが集まり、シーンと静まり返っていました。その様子を見ていてビックリしたが、カードゲーム、もしくは自分が持ってきたゲームをただただその場でやっているのです。
皆がそこに集まり、隣に友達がいるにも関わらず、たまに画面の見せ合いっこをしているだけで、後はシーンとなっていて、それはそれは静かな子ども達でした。
残念ながら、ゲームやテレビからは想像力は生まれてきません。
全て一方通行なのです。
そして、それは最近、大人たちの中にも非常に顕著に表れていると思います。
料理をしない人が圧倒的に増えました。つまり、買ってきたお惣菜をただ並べたり、冷凍食品をチンしてソースやらケチャップやらをかけておしまいだったり、味噌などの調味料を最初からつくらなかったり・・・など。
また、例えば、家を購入するとします。そこにはカーテンだったり、机だったり、椅子だったり、色々なものが必要になってきます。それらを何も手づくりすることなく、全部IKEAで買ってきてしまう。その狭い選択肢だけの中で自分らしさを表現しようとしている・・・そんな家庭ばかりのような気がします。
自分で火を起こし、自分で野菜を育て、自分で魚をさばき、自分で精米し、自分で食器をつくり、自分で本棚をつくる。
そういう力、つまりは、想像力と創造力。
こういう力がかなり劣ってきているように思えます。
それも大人の言い訳がこれまたよくありません。
「仕事で忙しくて時間がない」「定年してからゆっくりやりたいと思っている」
時間は皆に均等に平等に与えられています。「忙しい中でどうすれば、そういった創造する時間を生み出すことができるのか?」それも一つの創造力なのです。
想像力、創造力が溢れた人間になると、具体的には、「分解する力」、「組み立てる力」が付きます。
例えば、家を購入するとします。
想像力、創造力の無い人は建売をほぼそのまま購入します。そして、IKEAで全ての家具を揃え、キッチンなども設計士さんからオススメされたいくつかの中から選択します。
でも、想像力、創造力のある人は家を一度頭の中で分解し、それを再度組み立てます。すると、「ここは自分でできるな」、「ここは友達の**君に手伝ってもらおう」、「ここは今使っている**を再利用できるな」となり、結果的に料金もぐんと下がります。
生きるというのは「その場面をどう楽しくクリエイトできるのか?」の連続であり、この力を持っていると非常に楽観的になれ、心持ちも違ってきますし、その人と一緒にいると常に安心感がある、「病は気から」という意味では健康体も手に入れることができるのです。